べるぞね

病院の待合室で、子どもがかたまっている。「今日、注射?」と何度も聞いてくる。「ちがうよ、見てもらうだけ」とごまかして診察室に入り、泣きさけぶ子を押さえて打ってもらう。「痛くない、痛くない」「大丈夫、大丈夫」と言い続けるけれど、まったく届かない——インフルエンザの予防接種の季節になると、思い出す場面です。あの声かけは、合っていたのでしょうか。今回は、注射の痛みとこわさをへらす方法について、カナダの診療ガイドラインと、世界の研究のまとめから調べました。

病院の診察室で、ぬいぐるみを抱いて涙目の子供をひざにのせ、うしろからやさしく抱くパパのドット絵イラスト

針がこわい子は、3人に2人

まず、注射をこわがるのは、うちの子だけではありません。カナダのトロント大学のAnna Taddioらは2012年、医学誌Vaccineに、トロントの博物館に来た親883人と子ども1,024人へのアンケートを発表しました。

子ども63%
親24%

「針がこわい」と答えた人の割合(カナダ・トロント)。Taddio et al. (2012) より作成

子どもの63%、親の24%が「針がこわい」と答えました。こわさがいちばんの理由で予防接種をさけたことがある人も、親で7%、子どもで8%いました。博物館に来た人に聞いた調査なので、日本の子どもにそのまま当てはまる数字ではありませんが、こわがるほうが多数派だということは分かります。

日本では、インフルエンザの予防接種は13歳未満は2回です(厚生労働省)。年長の1年間には、はしか・風しんの2回目の定期接種もあります。注射の機会は、これからも何度かやってきます。

「痛くないよ」は言わない、とガイドラインは書いている

Taddioらのチームは、予防接種の痛みをへらす方法について、世界の研究を集めて診療ガイドラインを作っています。2010年に医学誌CMAJ(カナダ医師会の雑誌)に出た最初の版には、はっきりこう書かれています。

子どもに「痛くないよ」と言わないこと。この言い方は、それだけでは、注射のときの痛みをへらす効果がないことが示されている。(Taddio et al., 2010 より要約)

世界保健機関(WHO)も2015年に出した方針の中で、予防接種をする人はふつうの落ち着いた言葉を使い、うその安心や、正直でない言い方をさけるようにもとめています。さけるべき例としてあげられているのは、「ちょっと痛いだけだから」といった言い方です。

理由は単純です。注射は、少し痛いからです。「痛くないよ」と言われて痛かったら、子どもは次から親の言葉を信じにくくなります。

「大丈夫、大丈夫」のくり返しも、効いていなかった

では、「大丈夫だよ」となぐさめ続けるのはどうでしょうか。2015年に出た新しい版のガイドラインは、注射のあいだ、安心させる言葉をくり返すことは「しないことを提案する」としています。

そのもとになった研究のまとめ(Birnieら、2015年)によると、親が「大丈夫だよ」とくり返す場合と、そうしない場合をくらべた試験が2つあり、3〜7歳の子ども82人が参加していました。結果は、痛み・こわさ・つらさのどれにも、差がありませんでした。

なぜ効かないのでしょうか。カナダのダルハウジー大学のMeghan McMurtryらは2010年、医学誌Painで、採血を受ける5〜10歳の子ども100人の研究を発表しました。子どもに、親が自分に声をかけている場面の録画などを見せて、「このとき、お父さん・お母さんはどのくらいこわがっていたと思う?」と聞いています。

すると子どもは、親が「大丈夫だよ」と安心させているときのほうが、気をそらすような話をしているときより、「親はこわがっている」と答えました。

つまり、子どもには、「大丈夫、大丈夫」が「大丈夫ではないことが起きる合図」に聞こえているのかもしれません。ただし、これは採血の研究で、対象は5歳以上です。「大丈夫と言うと痛みが増える」と証明されたわけではありません。試験で分かっているのは、くり返しても、痛みもこわさもへらなかったということです。

効くとされているのは、「気をそらす」「すわる」「そばにいる」

では、何をすればいいのでしょうか。世界中の研究をまとめる国際的な取り組み「コクラン」は2018年、針を使う処置を受ける2〜19歳の子どもについて、59の試験・5,550人ぶんの結果をまとめました。

  • 気をそらす方法は、子どもが自分で答えた痛みをへらしていた(30の試験・2,802人)
  • 前もって説明するだけでは、効果は確かめられなかった(4つの試験・313人)

証拠の確かさは「低い」とされていますが、いちばん多くの試験で支えられているのは、気をそらす方法でした。

2015年のガイドラインは、ほかにも次のことをすすめています。

  • 3歳以上は、ねかせるのではなくすわった姿勢で受ける。子どもは親のひざにすわってよい
  • むりやり押さえつけることはさける。こわさを強めるおそれがあるため
  • 10歳以下の子どもには、親がそばにつきそう
  • 3歳以上の子ども本人に、痛みをへらす方法を説明する。説明はおもに前もってしておき、その場では、何をするかと、どうやってのりきるかの話にしぼる

「説明だけでは痛みはへらない。でも、説明なしのだまし討ちもしない」。この2つを合わせると、正直に知らせたうえで、当日は気をそらす、という形になります。

経営学のヒント:待ち時間は、分からないほど長く感じる

お店や病院の「待ち時間」を研究した、有名な文章があります。経営学者のDavid Maisterが1985年に書いた「待ち行列の心理学」です。Maisterは、同じ10分でも、長く感じる待ちと短く感じる待ちがあるとして、いくつかのきまりをあげました。その中に、次の3つがあります。

  • 不安があると、待ち時間は長く感じる
  • いつ終わるか分からない待ちは、終わりが分かっている待ちより長く感じる
  • 理由の説明がない待ちは、説明のある待ちより長く感じる

だから、うまくいっている店は、「ただいま20分待ちです」と先に知らせます。悪い知らせでも、分からないよりは、分かっているほうが待ちやすいからです。実験で確かめた法則ではなく、現場を見て考えをまとめた文章ですが、サービス業の世界では今も広く使われています。

注射を待つ子どもは、この3つが全部そろった状態にいます。こわい。何をされるか分からない。いつ終わるかも分からない。そこに「痛くないよ」「大丈夫」と言っても、分からないことは1つもへりません。へらせるのは、「何が起きるか」と「いつ終わるか」を知らせることです。

今日からできること

1〜4は上のガイドラインや研究のまとめにもとづくこと、5は考え方をもとにした工夫です。

  1. 前もって、正直に伝える。「あした、病気にならないための注射をするよ」。カナダのトロント小児病院の保護者向けの案内は、4歳以上の子には前もって話すようにすすめています。何日前がいちばんいいかを、この年ごろの予防接種で調べた研究は見つかりませんでした。だまし討ちにしない、という点だけは共通しています。
  2. 「痛くないよ」のかわりに、起きることを言う。「ちくっとするよ。終わるまで、パパがだっこしてるね」。痛みの大きさをうそで小さくせず、何が起きるかと、親が何をするかを伝えます。
  3. ひざにすわらせて、抱く。押さえつけない。うしろから包むように抱くと、腕も動きにくくなります。どうしても暴れてしまうときは、やり方を先生や看護師さんに相談します。
  4. 気をそらす。好きな歌をうたう、絵本やおもちゃを見せる、「帰ったら何して遊ぶ?」と話しかける。「大丈夫?」と顔をのぞきこむより、別の話をするほうが助けになります。
  5. 終わったら、やったことをほめる。「泣かなかったね」ではなく、「じっとすわっていられたね」「腕を出せたね」。泣いたかどうかは、ほめる基準にしません。

親自身が注射をこわいと感じているなら、それも自然なことです(親の4人に1人がそうでした)。そのときは、なぐさめの言葉をがんばって探すより、だっこと気をそらす役に集中するほうが、うまくいきそうです。こわがり方がとても強く、病院に入れないほどのときは、かかりつけの小児科に相談してください。

まとめ

  • 子どもの63%、親の24%が「針がこわい」と答えた(Taddio et al., 2012)
  • ガイドラインは、子どもに「痛くないよ」と言わないよう書いている。効果がないことが示されているため(Taddio et al., 2010)。WHOも、うその安心をさけるようもとめている
  • 「大丈夫」をくり返しても、痛み・こわさ・つらさに差はなかった(3〜7歳82人、Birnie et al., 2015)。子どもは、安心させようとする親を「こわがっている」と受けとった(McMurtry et al., 2010)
  • 気をそらす方法は、痛みをへらしていた。前もっての説明だけでは効果は確かめられなかった(59試験のまとめ、Birnie et al., 2018)
  • すわった姿勢で、親のひざの上で。むりに押さえつけない。親がそばにいる(Taddio et al., 2015)
  • 分からないことが多いほど、待つのはつらい。何が起きるかを正直に知らせて、当日は気をそらす
参考にした情報
針がこわい人の割合:Taddio et al. (2012) Vaccine
予防接種の痛みをへらすガイドライン:Taddio et al. (2015) CMAJ/Taddio et al. (2010) CMAJ
声かけなどの研究のまとめ:Birnie et al. (2015) Clinical Journal of Pain
安心させる声かけの受けとり方:McMurtry et al. (2010) Pain
針を使う処置の59試験のまとめ:Birnie et al. (2018) Cochrane Database of Systematic Reviews
WHOの方針:WHO (2015) Reducing pain at the time of vaccination, Weekly Epidemiological Record
保護者向けの案内:AboutKidsHealth(トロント小児病院)
インフルエンザの接種回数:厚生労働省「令和6年度インフルエンザQ&A」
待ち時間の心理:Maister (1985) The Psychology of Waiting Lines